シナジーカンパニーとの15年  感動、感謝、そしてこれからも・・・

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vol.61

シナジーカンパニーとの15年  感動、感謝、そしてこれからも・・・

【第二部 日本版ピュアシナジーの開発が始まるまで】

私がミッチェルと初めて会ったときを2年さかのぼった2001年。当社を創業した若松英輔(批評家、随筆家、現・東京工業大学教授でもある)がモアブを訪れていた。その当時、彼はある育児用品メーカーの子会社の社長を務めており、新商品のためのオーガニック原材料を探していた(子会社ではハーブサプリメントやハーブティーを製造・販売)。ネットで粗末な(といっては悪いが、当時のはかなりシンプルで素人っぽい感じだった)ホームページを見つけた彼はすぐにシナジーカンパニーと連絡を取り、翌週にはモアブ(アメリカ・ユタ州)に飛んでいた。

ミッチェルはかなりの変わり者で、頑固で潔癖で、人を簡単には信用しないところがあった。当時の彼は、過去に全米を代表するヒーラーの一人として専門誌の表紙を飾ったこともありながら、ビジネスという別世界に足を踏み入れ、そこで真っ向勝負している一人のビジネスマンだった。意欲的でもあったし、何事にも真剣で、冗談が通じないタイプだった。

彼を数年間にわたり日本にまねていた時期があったが、来日した際に会ったことがある人たちは彼をそんな風には感じなかっただろう。彼はいつも笑顔を絶やさず、柔らかな口調で、分け隔てなく人々に接していた。はるか遠い日本からやってきた一人の青年(というには少し年をくっていたが)に出会い、その後も私たちの熱意と誠実さを感じていくなかで、彼も徐々に変わってきていたのだ。
さらには、彼の講演を聞きに来てくれているお客さんたちが彼をあたたかく(ときには熱狂的に)迎え入れてくれたからに違いない。今では「my big brother, my little sister」と互いに呼び合い、ふざけあったりもする仲だが、そんな親しい関係になれるまでには4,5年の歳月が必要だったと記憶している。

話を元に戻すと、ミッチェルが若松に製品を「売ってやってもいい」と伝えたのは、三回目の訪問時だった。それまでは申し出を断られ続けていたのだ。ほとんどあきらめかけていた彼にミッチェルは尋ねた。「なぜそんなに原材料にこだわるんだ?」 若松は答えた。「妻に最良のものを飲ませたいからです。そして同じものを大事なお客さんたちにも提供したいんです」 彼の妻は乳がんを患っていた。その話をしたとき、ミッチェルの表情が一瞬曇り、そして急に緩んだように見えた。「原材料ではなくて、ピュアシナジーを買いなさい。君の大事な人と、日本のお客さんたちのために」
そこから日本版ピュアシナジーの開発が始まった。


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